2019年5月14日火曜日

橋下徹 報道の自由についての授業:生徒 報道関係者へ 普通に怒られた



9:28
そもそもよくわからないんですけど、
メディアがそうゆう立場にあるのに・・・
気持ちはわからないでもないですけど。
でも維新の立場として国政に進出するのに・・・
多くの国民の支持を集めるのに
なんでそんな細かいところに労力をつかっているの?

9:59
あのね~
そんなこというのであればこれまでに
どこまで労働の自由を守っているのかご破算になりますよ。
一般の市民感覚でやれというのであれすべて全て脱しますよ。
名誉棄損の凡例を勉強されてないんですか?
虚偽の報道であっても真実に値するものであれば免責に
なるんですよ。
名誉棄損の条例はご存知ですよね。
公共性、公益性があって真実の場合だけ免責となっているんです。
真実の場合だけ。
でもそれだけだったら、報道をやった場合真実じゃない場合だってあるじゃないか。
間違う場合だってあるじゃないか。
ここで永遠と司法は裁判量を積み重ねてそして色んな学説を積み上げて
最高裁が公共性公益性があって仮に間違った場合でも
真実に認めるに相当な理由がある場合にはこれは免責にしましょう。
これが民主国家の知恵なんですよ。
なぜそんなことに労力を使うぐらいなら謝った方が良いというんですか。
そしたら簡単じゃないですが、みなさんも間違ったらすぐに謝ったら
いいじゃないですか。
全部、責任をとればいい。
それが一般の市民感覚です。
でもそれじゃ、民主国家は成り立たない。
仮に間違ったとして保護してやるっていうのが民主国家なんです。
報道の自由、表現の自由なんです。
それをなんでなんてよく、報道機関に携わっていていいますね。
ぼくはびっくりですよ。そんなん。
なんで民主国家が報道の自由を守るためにここまで英々と努力をして
僕らだって弁護士で司法家として被害にあった、その
メディアの報道で被害にあった被害者が山ほどいる。
それでもそうゆう説明をしてタレント、政治家など
家庭がめちゃくちゃになった人がいます。
それでも報道の自由を死守しなければいけない。
そのような英知の結集の中で組み立てられているわけですよ。
だから僕はメディアが許さるから議員も許してくれというつもりはない。
そりゃ、自己統治の論でいくのであれば議員活動にも同じ論理が
あてはまるでしょう。といっているんです。
メディアの報道を一所懸命守ろうとしている日本において、
議員の調査、議員の質疑に関してしかも委員会と認められている
場所においては特段の配慮をしていきましょう。
それが民主国家のありようだ。
それが違うのであれば答えて下さい。
13:00


橋下氏が政治家だった頃の記者って幸せだよな~~~。
こんなん今もやっていたら、世界一賢い記者達がバンバンでてくる。

政治の質はメディアの質。メディアの質は政治の質。
まさにその通り!